ペザント演ってきた
本日バレエの発表会でした。
前回は癌の手術で練習が思うようにできず、今回はコロナで練習が思うようにできず。
でも、練習なんて思うようにできないものでしょう。
それでも舞台があることのありがたさ。
「本番がある人生」というのはかけがえがありません。
「美」はどうでもいい。「自分が人生の主役」とは「身体に責任を持つこと」にも書いたのですが、
・最上級の接客を、スーパーやドラッグストアなどあらゆるサービス業に求めてしまう人々がいること
・他人に従う奴隷の生き方が「人に何もかもをやってもらいたい」思考回路を生み出す
・「奴隷の生き方」は、逆に「誰かが何かを自分に与えてくれることは当然」という「王様の生き方」をする不遜な人間を増やす
奴隷は貴族\(^o^)/
身分が高くてよろしゅうございますね。
そういう腐った考えを叩き直すためには、仕事なり習い事なりスポーツなりでボコボコにされる…おっと間違えた「自分が主役・宇宙の中心になる経験」が大切なのではないかと思います。
「クレクレ」の人々は人への感謝が足りないわけですが、なぜそうなるのか。
ずっと脇役で大したことをしていないと、他の人がなさってくださっているお仕事の大変さが分からないためです。
簡単だと思っているから、簡単に人に求めてしまうのです。
主役になるというのは重たく、他の方の協力・尽力が不可欠です。
その時に、周りの方がなさってくださるお仕事のありがたさに感謝せざるを得ません。
主役は一人ではなれないのです。他の人がいてこそなのです。
他の人への感謝を知るには「主役になる、宇宙の中心になる経験」がとても有効です。
茶事で亭主になる・主人を務める時、自分が宇宙の中心に在って客をもてなします。
その緊張感と難しさを経験すれば、簡単に人に仕事をやらせたいというような下品な欲望は消えてゆきます。
人に求めないことで、ますます自分の成長に繋がります。
でも1人では人は成長しない(その要因が発生しない)ので、過程を支えてくれている人は必ずいて、それが見えてきます。
「自分が主役になる経験」は、そういう成長の螺旋階段構造を生み出すことができます。
ですから、主役になる・人前に晒されながら大変な思いをする機会をどんどん得ましょう。
プロジェクトのリーダーを務めたり、起業したり、舞台に立ったり、茶会の亭主になったり。
そういう機会が人生に全くない人はやばいと思った方がいいかも…
ピラティスは本番で力を発揮するための裏トレーニングですが、「何の本番もない」人は毎回のセッションを本番に。前回からの特訓の成果を見せてください。
特訓できなかった時は、その瞬間その刹那に全神経を集中し、そこで成長しましょう。
そんなありがたい本番の機会ですが、私は今日でした。
そしてやはり、感謝の気持ちに溢れています。
バレエの先生にペザントのヴァリエーションを与えられた時、「ジャンプばっかりしんどすぎ。そしてひたすら楽しそうな役も合ってないのでは」などの思いがよぎったりしましたが、終わった今
「ペザントは俺だ」
先生の選択の間違いのなさと、きちんと私を見てくださっていることに平伏します。
教師は生徒の未来を見ますが、私を信じてくださったこと。
全てのプロデュースを1人でこなし、倒れてしまわれるのではと心配になるほど抱え込みすぎてしまう先生…。
そして本番直前に舞台に立つための戦略を練り、気功聖体を施してくださったDK WORKS
DK WORKS 気功聖体&メンタリングによる内部表現書き換え〜認知科学と気功〜心と身体の駆動と気功 DK WORKS ameblo.jp
そして衣装の運搬および毎回忌憚ない的確な講評をくれる夫。
↑素人評論家の域に達している。
本当にみなさんのおかげで今日の私があります。
日常生活だけで、丁寧に丁寧に人に感謝を送ることは難しいです。
「改めて」という時が必要です。
日常に非日常を。宇宙の中心に立って、そこから他者との縁起を考える機会を作りましょう。
すべてはからだと心からー。
どんな時も強くいられるマインドと女性らしい所作を、1対1で理論から学びましょう
人生が向上する心身のメンテナンス。
思索とボディメイク・瞑想のフルコースで究極のリラックスを。
マシンピラティス・バレエの所作、メンタリングと気功整体、その後にはゆったりとした深い呼吸のひととき──運動からくつろぎまでを一括提供。
理論に基づく機能解剖学と認知科学で、からだと心の使い方を上達させます。
完全個室パーソナルであなたお一人のためだけの空間です。