「正しい」と「美しい」は同義
metamorphoseを初回受講される方へは、今後のピラティス・セッションで使われる言葉の意味に迷わないよう、座学から始めてゆきます。
「関節のNeutral Position(ニュートラル・ポジション)」の概念や、ポールスターピラティスの専門用語である「Axial Elongation(アクシアル・エロンゲーション=軸の伸張)」、それらを支える筋肉の構造などを解説します。
身体は誰でも持っているのに、それを使うための学問である機能解剖学などに触れる機会は、普通に生活している限りほぼありません。
私も成人してから学び、誰にとっても生きるために必要な範囲のことが、ここまで知られていないのは謎だな〜と感じています。
医療を学ぶのは専門職だけですが、高等教育の前に例えば「基礎医療」のような、機能解剖学や運動生理学、さらに代表的な疾患などについて学ぶ科目があればもっと人々は生きやすくなるだろうなと思います。
座学やセッションを受けられたクライアントさんから「こういうこと、小さい時に知っておきたかった!小学生の頃くらいに」と言っていただく度に、知識を持つことの必要性を感じます。
医療職の方は、患者さんにご自身の病気について「専門家はあなたでしょ、私は分からない」とよく言われてしまうそうです。
たしかにこっちは専門家だけど、お前の身体やんけ。
お前が知ろうとせんで、お前が考えんでどうするんや。
「自分についてのリテラシー」低すぎぃ。
自分のこと、どうでもいいんすか?
じゃあそれ以上に大事なことってなんすか?
仮に「私なんかより他の人が大切なの」っつっても、1人の人間が動けなくなると周囲の動きも全部止めますからね。
というわけで、自分の身体についての基本を学ぶことは生きる上でとても大切です。
家族や医療職にできる限り悪影響を及ぼさないためにも。
さて、身体について。
「関節には正しい位置があり、それぞれの役割があり、壊さないためには偏った動きである代償動作を減少させる必要がある」ことをほとんどの人は知らず、適当に使っています(かつて学ぶ前の私も)。
身体をまんべんなく使うことは難しく人それぞれの「クセ」があり、使いやすいところばかりを使い(過可動)、使われていないところは廃用性拘縮が起こり…などと、歪みが進行します。
プロと一緒に適切なトレーニングをしていくことで、この歪みを少しでも均(なら)していきたいのです。
ここからが今日の本題!
もちろん知識(用語)も重要なので、セッションではお伝えしていきます。
でも私達は、知識(言語)がなくても良いか悪いか判断できることもありますよね。
例えば「姿勢が良い/悪い」。
「耳垂」や「肩峰」を知らなくても、誰かをパッと見た時に姿勢が良い人か悪い人かは分かってしまいますよね。
この人は?
この人達は?
この人は?
この人は?
左の人は?右の人は?
この人は?
姿勢や動作の良し悪し、知識がなくても分かりますよね。
これ、どういうことかと言いますと、知らない用語を使って判断しているわけでは勿論ないのです。
「美意識」で判断しているのです。
つまり、「見た目が綺麗か/綺麗ではない(汚い)か」です。
衝撃の事実「見た目が綺麗であれば機能的に正しい位置および動作であり、見た目が悪ければ機能的に誤った位置および動作である」。
つまり、「美しい」と「正しい」は同義なのです。
(あなたの見た目が良くなければ、機能的に誤った位置および動作および状態なのです…)
この話を公にすることは非常に難しく、美醜という概念はすぐ差別に繋がります。
しかし我々には生物としての本能があり、それは社会性ではどうにもできない深い部分でどうしても美を求めるのです。
望むと望まないに関わらず我々には生殖機能があり、良い遺伝子を求めてしまいます。
健康で左右対称な身体を持つ美しい個体を求めてしまいます。
我々はルッキズムに支配されています。
でもそれは、「健康でありたい」「健康な子孫を残したい」という生命の力です。
それを否定するよりも、利用すべきです。
美を求める、その渇望を利用して健康になるのです。
美を求め、醜を蔑むことは差別になりますが…
私はそれで良いと思います。
「差別しましょう」とは言いづらく、ひとまず言い換えると「美に拘り、美を追求しましょう!」
己に対しては、差別をする。美を追求する。醜さは修正し遠ざける。
しかしそれが正しく、あなたを健康に近づける道です。
美しければ正解、醜ければ何かが誤っています。
だからこそ正しい知識をつけ、美に近づいていきたいのです。
「凝りとかがなくなれば良くて、別に美とか興味ないんだけど」という場合、正確性の追求も甘くなります。
ピラティスはAccuracy(アキュラシー・正確性)を重視します。
正確性つまり美しさに興味のない人には向きません。
もっと貪欲に、「絶対もっと綺麗になる絶対」という気概でピラティスには臨んでいただきたいです。
「見た目は綺麗だけど誤った動作」や「見た目が変でおかしいけど正しい動作」はありません。
正誤は見た目そのままで、変換の必要はありません。
美に関しては、私達の脳は正しく判断できてしまいます。
それほど「美しいかどうか」は重要なことなのでしょう。
私達は無意識で健康的なものを欲していて、そうでないものに違和感を覚えられるようになっています。
「美しい/汚い」その判断を下す時に脳が何をしているかというと、現状のその先にある未来を見ているのです。
脳は身体のあるべき姿を知っているのです。
脊柱の状態は心理面にダイレクトな影響を与えます。
背骨を伸ばし、反らすと気分は明るくなります。
猫背・巻き肩は気分が沈んでいきます。
猫背・巻き肩が固定された状態を見て、その先に発生し得る精神疾患の影を脳は見ます。
押しつぶされた内臓を透かし見て、その先に発生し得る内臓疾患の影を脳は見ます。
O脚X脚などの関節の変形を見て、その先に発生し得る歩行障害の影を脳は見ます。
肥満を見て、その先に発生し得る生活習慣病の影を脳は見ます。
我々の脳は身体は、できるだけ病気や怪我を避けたがっているのです。
そのために「美しいか醜いかが分かる」という判断基準が身についています。
それは誰しも持ってはいるのですが、美醜の感性も磨き続けなければ劣化します。
私は長らくピラティスを指導してきて、クライアントさんの意識の低さと格闘してきました。
インストラクターはクライアントさんの未来を見ます。
その姿から悪い未来が見えるところを修正していきます。
綺麗に、美しく動いてもらうようになることが仕事です。
しかしクライアントさんが美醜に対し無頓着であると、ギャップが生じてしまいます。
同じ内容のセッションを受けても、そこに美を求めるかどうかで効果は変わります。
低い美意識はその方にとって損であり、怪我や病気を誘発します。
とにかく見た目を綺麗に!外見は内面を現します。
もっともっと細部まで貪欲に、美を求めていきましょう
「僕達は叔母様から美意識を持つとは如何なることなのかを教えられた。[…]叔母様はおっしゃった。美意識を持って生きることは最も贅沢なことなのだと。しかし美意識を持って生きることは、今の時代において最も反逆的な行為なんだと。美意識を持たず、時流に流されて生きるほうが安楽だ。だから私は貴方達に美意識を持って生きなさいとはいわない。でも自分の中に美意識の萌芽を見つけたならそれを無視することを私はやらないで欲しいと願う。」
「平等への疫病が蔓延した時代。そんな時代に美しさなんて存在しない。美しさとは極論をいってしまうなら、ある意味において、差別の果てにあるものなのよ」
「私達鱗病の患者を見れば誰もが気味悪く思うでしょう。それが普通の感覚よ。その感覚がなければ、この世に美なんて存在しなくなる。[…]人は常に美しいか醜いかで全てを判断するのよ。だから天使は美しく、悪魔は醜く描かれるのでしょ。簡単な根本原理よ。[…]
私達は人間が感じる美への情動を無視して議論を進めてはいけないの。私は美しいものにしか興味がない。だから美しくありたいと願う。何よりも美しくあろうと欲する。そうやってこれまで生きてきたわ。たとえこの身体が鱗に覆われていようと、私は美しくありたい。」
「私は世界の有象無象のものの中から美しいものだけを選択し、大切にし、今まで生きてきた。だから、皆、私達を嫌悪すればいいのだわ。先ずは差別すればいい。醜悪なものを醜悪なものとして、差別すればいい。それが内面に関することでも外面に関することでもどちらでも同じこと。美しいものを素直に美しいと感じるように、醜いものを素直に醜いと感じればいい。」
「──現代を私が嫌悪し続けるのはね、醜いものを醜いという感覚を拘束し、体面で糊塗することが人間らしさだとされる時代だからなの。[…]醜悪なものを現代のヒューマニズムは、醜悪だといわない。醜悪なものを醜悪だということはヒューマニズムに反する行為だとされる。悪だとされる。現代のヒューマニズムにおける正義は、醜悪なもの、異形のものに一見、優しい。でも優しさなんて何の役にも立ちはしない。[…]真に理解していれば、相手を認めていれば人は人に優しくなんてなくていい。残酷でいられる筈なのよ。安易な理性によって私達にヒューマニズムが与えるものは同情のみ。同情なんていらないわ。
同情するくらいならきっぱりと差別してくれればよいのよ。」
『鱗姫』嶽本野ばら
美しさに拘ると、「怪我や病気の人は醜いのか?」という反問も生じます。
これはイエスでもありノーでもあります。
怪我や病気は容姿に悪影響を及ぼします。
私は乳癌により3箇所の術痕を持ち、放射線治療で皮膚を焼き、投薬治療が続いています。
数年前に別の薬疹を起こしたこともあり、未だに肌は元通りにはなっていません。
私の容貌もまた病によって毀損されました。
人は誰も何も選べません。
先天的にも後天的にも、どんな姿に生まれどんな病に冒されどんな障害を負うかも分かりません。
しかし美しさとは、生き様でもあります。
意思ある限り、どんな状況にあっても、自分の最大限の美しさを欲することを諦めないでほしいです。
諦めなければ病に毀損された容姿も輝きを放ち、諦めれば病に負けそのまま醜くなってゆきます。
イエスが言った、「あなたがたがあなたがたの中にあるものを引き出すならば、それが、あなたがたを救うであろう。あなたがたの中にあるものを引き出さなければ、それは、あなたがたを破滅させるであろう」(トマス福音書45:29-33)
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