「美」はどうでもいい。「自分が人生の主役」とは「身体に責任を持つこと」

「美」はどうでもいい。「自分が人生の主役」とは「身体に責任を持つこと」

セッションの主役はクライアントさんです。

「そんなん当たり前じゃん金払ってる方っしょ」と思われるでしょうが、なかなかそうもいかなくて…

なぜか。それは人生で主役になってないから泣

「人生の主役はあなた」なんてコピーがありますが、なぜこんなコピーが成立するかというと、日頃 脇役生活を送っている人がほとんどだからです。

誰かの言うことに従い、目立たないよう過ごし、発言は叩かれないよう無難なところに留めておく。

思考停止し、自立しないまま老いていきます。

そういう方が動けるわけがなく。

この場合の「動く」というのはスポーツなどではなく、例えば

・来店して着替えをしない(教師の声がけを待っている)

・着替えてから出てこない(教師の声がけを待っている)

・デモンストレーションを見てもエクササイズを始めない(教師の声がけを待っている)

・次の動作に移らない(教師の声がけを待っている)

・エクササイズを終わらせられない(教師の声がけを待っている)

おい、動けよ。

「お客様、お着替えは終わられたでしょうか。どうぞこちらへ。ではデモンストレーションをご覧ください。エクイップメント(器械)にお気をつけてお乗りください。エクササイズを開始していただいて、そこでこう動きます、はいそうです。では終了です。エクイップメント(器械)からお気をつけて降りてください。汗を拭いてお水をお飲みください。」

こういった誘導もできますし簡単なのですが、わしお前の執事やないで。

ヴィトンの店員でも、サービス料をいただく高級ホテルマンでもないで。

そして何様?

こんなんしてもらって成長するんかい?何かできるようになるんかい?

口元までスプーンを運んでもらう介護サービスが欲しいのね?

咀嚼だけしたいのね?

最上級の接客をスーパーやドラッグストアで求めてギャーギャー騒ぐ人いるけど、狂ってるよ。

全て与えてもらって当然と思っている、自分のお世話やコントロールができない人達。

なんのために身体を鍛えるか、最低限のラインとして寝たきりにならない体力をつけるためとしたら、なぜそのような寝たきりまっしぐらの思考なのか?

指示待ち=奴隷として生きる=その先は要介護一直線っすよ。

頭も使わず。身体も使わず。

自分で考えて、自分で動こうね。

「自分でエクササイズを始めて、自分で動いて、自分で終わらせるんだよ」と教えると、多くの人は「えっ?」と驚き戸惑います。

デモンストレーションを始めから終わりまで見ているにも関わらず!

これまでに自分主導で動いたことがないのです。精神面にも肉体的にも。

「奴隷」というと昔の制度のような気がしますが、実際ほとんどそんな状態なのです。

「人生の主役になる」というのは恐ろしいことでしょう。

自分でものを考えなければいけない、代わりに誰かにやってもらえない。

でも、せめてセッションでは主役になってほしいのです。

そこで「自分で考え自分で動く」ということを身につけていってほしいのです。

できれば幼い頃からそういう経験ができてたら良かったけどね。

年食ってから始めてもやればできるからがんばろうね。

主役がインストラクターになってしまうのはよくあること…。

インストラクターの動きを鑑賞し、愛で、解説を聞いて身体の神秘に感動し、のんのんして帰っていく。

「すごい、綺麗ー」とか良いんですが、良いんですが…俺じゃねえ。

おめーだおめーだおめーだおめーだおめーだおめーだおめーだおめーだよ

これらのことを説明するために、めるもではよく「エクササイズをする時は、俳優として舞台に立ってスポットライトを浴びていると想像して」と言います。

↑1分動画でピラティスを行う際のアティチュード(心構え)を指南ふんわりウイング

1人で全てを進行できないから、裏回しとして黒子(インストラクター)がいると。

その黒子のささやく誘導にいちいち不自然な動きで反応していたら、芝居は成り立ちません。

エクササイズ(お芝居)を始めから終わりまで滑らかに完結させるにあたり、何よりも重要になるのは自分の呼吸です。

自身の呼吸を乱さず、黒子の声を聞き、観客には分からないように動きを修正していく。

それがクライアントが主役となり、インストラクターは脇役であるセッションです。

そういう訓練をもってして初めて、自分の身体・自分の動きに責任を持つということを学べるのです。

自分が主役になるしかないのです。

口元までスプーンを運んでもらう介護型レッスンでは何も身につきません。

ヨガ・ピラティスはフィットネス業界のマーケティングによって広く普及しましたが、サービス業として販売され本質は貶められてしまいました。

ヨガは悟りを開くための修行の一環であり、ピラティスは傷痍軍人が前線に戻るため戦火の渦中で開発されたトレーニングです。

どちらもサービス業ではないですね、ははは…。

プロの接客業は素晴らしいものです。

ただこれはそういう分野のものではないのです。

私はピラティスを、せめて「習い事」として復権させたいのです。

バレエ、ピアノ、華道、茶道などの伝統芸能は、まだ世間のイメージや体裁としてはサービス業にはなっていないと思います…。

情操教育、礼儀礼節、自分の頭で考えること、自分の身体で動くこと、そういう一連を身につけるための「習い事」をきちんとすることは、思考停止(奴隷人生)からの脱却の一助にもなると思います。

私の家は、父方母方共に祖母が華道、茶道の師範をしており、習い事文化は強烈に身近にありました。

「血」を考える

まあ家はどうでもいいんですが…。

人生において「自分が主役」なのは当たり前のことなので、そうでない行動を取られると逆にびっくりしちゃいます。

metamorphoseの教授方法はモダン・ピラティスを採用していますが、精神性はオーセンティック・ピラティスを貫きます。

現代的な解剖学などの解説を取り入れつつも、Joseph Pilates(ジョセフ・ピラティス)の魂を受け継ぎたいのです。

Ron Fletcher(ロン・フレッチャー)の、Eve Gentry(イヴ・ジェントリー)の、Romana Kryzanowska(ロマーナ・クリザノウスカ)の、Kathy Grant(キャシー・グラント)の、Mary Bowen(メアリー・ボウエン)の、Deborah Lessen(デボラ・レッセン)の、Pat Guyton(パット・ガイトン)の、Yuko Igarashi(五十嵐祐子)の、強靭な精神と肉体を受け継ぎたいのです。

「ピラティスで美しく、綺麗に」などども言っていますが、実はそれは本質ではない。

「美」なんてただの釣りワードです。

釣りに釣られないでください。

美を追求したいわけではなく、本当にこの刹那に真剣に向き合えば、その瞬間の人間ははどうしても輝いてしまい、どうしても美しくなってしまうものなのです。

それが大舞台でなく、ただの趣味のお稽古のワンシーンでもです。

真剣に花を生ける姿、真剣にお茶を点てる姿というものは美しいのです。

結果として美しくなってしまうのです。

真剣に息を吸い、吐き、自己に集中し、手を動かすだけで…人は美しいのです。

私が見たいのはそういう凄みです。

今この瞬間に、真剣になれよ。

 


すべてはからだと心からー。

どんな時も強くいられるマインドと女性らしい所作を、1対1で理論から学びましょう


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